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福岡簡易裁判所 昭和32年(ろ)1451号 判決

被告人 田島信義

主文

被告人は無罪

理由

(一)本件公訴事実の要旨は「被告人は昭和三十二年九月二十三日午前九時五十分頃福岡市呉服町道路の交叉点において法令の定める信号機による注意の信号に従わないで原動機付自転車を運転通行したものである。」というにあるが被告人は当公廷において右事実を否認し、交叉点に入る時には信号機は「進め」の信号であつたが交叉点に進入後「注意」信号に変つたものであると主張する。

(二)而して当裁判所の検証調書によれば、本件現場は博多駅方面と福岡市石城町方面とを南北に結ぶ道路と、同市天神町方面と同市千代町方面とを東西に結ぶ道路との交叉点であつて同所より石城町方面に至る道路を除き他の三方の道路中央には西鉄市内電車の軌道が敷設され、右交叉点の東西南北には各一ケ宛地上より高さ約五・六〇米の位置に信号機が設置されているのであるが、被告人の指示説明によると、本件当日午前九時五十分頃被告人は同市天神町方面より千代町方面に向い第二種原動機付自転車を運転して時速約十五粁乃至二十粁で進行中右交叉点に差しかかつたところ、信号機は「進め」の信号であつたのでそのまま進行し、停止線を越えて約七・五〇米進んだ地点で「注意」信号に変つたが被告人は同所で停止するよりも進行する方が適切な処置であると考えて石城町方面に左折しようとして前記地点より約七米進行したとき司法巡査斎藤源二より警笛で呼止められたので更に約一一・四〇米進行して呉服町交通巡査詰所前において下車したがその時天神町方面より博多駅行西鉄市内電車は呉服町停留所を発車し約四・二〇米進行していたというのである。

(三)よつて被告人の右供述の信憑性について考察すると、

(イ)信号機が注意信号に変つた地点から被告人が停車した地点までの距離約一八・四〇米を時速十五粁と仮定し原動機付自転車を運転通行するに要する時間は約四・四秒となること計数上明らかであり、これに停車の際の徐行、停車後自転車より降りる時間等を考慮すれば更に所要時間が加算されること

(ロ)天神町方面より本件現場を通過して博多駅方面に進行する西鉄市内電車は信号機に黄色の矢印が点灯された後、平均四、五秒以内に呉服町停留所を発車すること、右黄色の矢印は原則として信号機が注意信号に変ると殆んど同時に点灯される旨の証人江崎五男の証言に基き注意信号後電車が呉服町停留所を発車して約四・二〇米進行するに要する時間を算出すれば平均約五・六秒と推認されること。

以上の事実を綜合すれば被告人の右供述は距離、時間関係等においていずれも可能な範囲で何等矛盾撞著するところがないのみならず、車輛通過表によつて認められる本件犯行日時頃である昭和三十二年九月二十三日午前九時四十八分に天神町方面より博多駅行第五五七号西鉄市内電車が呉服町停留所を発車している事実とを考え併せると被告人の右供述は相当の信憑性があるものと判断される。

(四)ところで検察官提出の交通違反現認報告書と題する書面によれば右書面は本件公訴事実と同旨の被疑事実が掲載され、これを認める旨の被告人の供述書と、右事実を現認した旨の司法巡査斎藤源二の報告書から構成されているのでこれらの証拠について順次判断を加えることとする。

(1)  被告人の供述書について

被告人は事件当時前述の如き自己の行動は適切な処置であつたと思つていたが斎藤巡査から違反だといわれたため、これまで警察官から取調を受けた経験のない被告人は多少威圧を感じ、右の如き場合でも違反になるのかと疑問を抱きながらも右報告書に「違いございません」と記載したものであると弁解するが被告人の当公廷における供述、証人井手努の証言によれば被告人は当時道路交通取締法施行令第二条第一項第二号但書の「車馬が交叉点に入つている場合においては(注意信号に変つたときは)すみやかに交叉点の外に出なければならない」旨の規定を知らなかつたので、交叉点に入つた後に注意信号に変つた場合でも停車しなければならぬものかと誤解したこと、然し何か釈然としないものがあつたためその後被告人の通学する学校で友人の意見を徴したところ交通違反にならないという消極意見が多かつたので検察庁から呼出を受けた日も前述の事情を述べるつもりで午前、午後の二回に亘つて検察庁に赴いたが係官不在で取調を受ける機会がないまま本件につき略式命令が送達されたため本件正式裁判を請求するに至つた事情が認められるので被告人の右弁解は単に罪を免れるための嘘偽の供述とも解し難く従つて被告人の前記供述書は信憑性がないものといわなければならない。

(2)  司法巡査斎藤源二の報告書について

証人斎藤源二の証言、被告人の当公廷における供述及び検証調書

を綜合すれば、

(イ)本件現場は福岡市内でも屈指の交通量の多い場所で平均一時間三千台以上の車馬の通行があり従つて交通違反だけでも一日三・四十件を越える検挙があること

(ロ)本件現場において交通取締の任に当る警察官は信号違反を取締るためには常に信号機を注視して、二方向の信号機が「進め」「注意」「止れ」と変る度に「進め」の信号が出ていた二ヶ所の停止線を主に四ヶ所の停止線を殆んど同時に見まわして違反者の有無を確認する動作を繰り返さなければならず、しかも信号は数秒乃至数十秒間隔で頻繁に点滅しその間には他の交通違反も発生するため注意信号違反という瞬間的な出来事を発見するには時折困難が伴うことが推認されること

(ハ)事件当日は祝日であつたため平日よりも車馬の交通量が多くしかも被告人を検挙した斎藤巡査の位置は被告人が通過した天神町側の停止線より約四十米離れた千代町側の安全柵の中であつたこと

以上の事実が認定されるがかかる情況の下においては、多年交通取締の経験を有する熟練した警察官といえども全く誤認がないとは断定し難いのみならず、この事と前記交通違反現認報告書作成当時被疑事実として同巡査が「停止」信号違反と記載したのを被告人が呼びとめられた時は「注意」信号だつたと異議を述べたところ、同巡査が「そうだつたかなあ」といつて「注意」信号違反と訂正した事実とを併せ考えると同巡査作成の右報告書の信憑力も甚だ弱いものと認定せざるを得ない。

(五)従つて前記各証拠をもつて被告人の注意信号違反の所為を認定することはできず他に右事実を認めるに足る証拠のない本件においては結局犯罪の証明がないことに帰し刑事訴訟法第三百三十六条により被告人に対しては無罪の言渡をなすべきものである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 藤島利行)

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